◆私 覚田義明の成功実績紹介
FIRE達成(不労所得)
1)人生(運):高卒なのに大学教授になれた。
2)従業員:サラリーマン時代に1年で年収200万円をアップできた。
3)研究:自分自身のブランドを確立できた。
4)起業:7社の起業を設立できた。
5)経営:600円から起業して単年売上20億円を達成できた。
6)売却:7社からオファーもらった、その後、売却できた。
7)投資:安定して、年2000万円以上を稼ぐことができた。
Fat FIRE:投資の利回りだけで毎年ハワイに1ヶ月間行ける。
中村まさし40歳。福岡で飲食店経営の成功事例
14歳で起業し「中学生社長」と呼ばれていた。
資金も実績もないまま、軽い気持ちで独立。
日本での起業費用を避け、米国デラウェアで20万円起業。
運を引き寄せるため行動し、月100人以上と会った。
15歳で一度断念し、アルバイトで生活。
19歳で就職するも1年で退職し、2度目の起業へ。
25歳で借金と失敗が重なり、人生のどん底を経験。
27歳の異業種交流会で転機が訪れる。
WEB集客と飲食店経営に挑戦し、水炊き店を開業。
9年後、年商2億円・社員9名・アルバイト80名規模に成長。
覚田義明の成功事例詳細
私も20歳の時、まさか、自分が、
「7ステップ」全てを経験するとは、
思っていませんでした。
当時、先のことも考えられず、
夢も目標もなく、
友人と飲んで楽しく、
ただ毎日、楽しく暮らしてました。
普通のサラリーマンでした。
20代はアップルストアーの前身
アップルセンターの店長として働き、
会社員「従業員」を続けながら
しかし、ただ違っていたのは、20代までに、
アルバイトを沢山し、旅行もたくさんし、
恋もし、彼女ができ・・・
行動的な私は自然に、
「運の引きよせ方」を取得してました。
また、運の上手な使い方の
「運活用のクワトロ」も20代で発見し、
それを実践してました。
そして、会社員の頃、
自宅で「研究」をしていました。
サラリーを注ぎ込んで自己投資を
行なっていました。
活用していたところ、人生が転がりだし、
気がつくと、
自然と7ステップを行っていました。
30歳の時「起業」。
メイン事業は600円で自宅の1間で起業し、
「経営」を約20年間行いました。
その間に、7社を起業。
メイン事業、年商20億・社員120名へと成長した。
最終的には「売却」するところまで歩み切りました。
得た資金を「投資」に回して、
5年後には「Fat FIRE」を達成した。
不労所得で暮らせるようになり、
毎年ハワイに旅行に行っていました。
全てのステップが初めてで、
私は本当に苦労しました。
最初から知っていれば良かったです。
また伴走者もいれば良かったです。
<伴走者からひとこと>
私は「1人孤独」で辛かったです。
「伴走者がいなかったから、
この7ステップを作りました。」
車を運転するように、
人生も上手に運転ができるように、
自動車教習所のような、カリキュラムを作りました。
たとえ、今、必要としなくても、
全てを知っておくのは、
大事だと思います。
⚫︎起業リテラシー
⚫︎経営リテラシー
⚫︎マネーリテラシー
何の資格も取れないですが、
全て知っておくと、
人生の幅ができます。
Aさん、成功事例イメージ
Aさんは、ごく普通の会社員でしたが、
「何か始めたい」という思いから、
夢をつかって、小さな副業をスタートしました。
その過程で、バーで偶然の出会いに恵まれます。
出会った人物とのご縁がきっかけで、事業に参画することとなり、
なんと社長を任されるまでになりました。
そこからは順調に店舗展開が進み、
長年の夢を叶えると同時に、
年収も大きくアップ。
Aさんのように、小さな行動の積み重ねが「運」を引き寄せ、
人生における大きな転機をもたらすことがあるのです。
中村まさし40歳。福岡で飲食店経営の成功事例 詳細
初めての「起業」は14歳のときでした。
周囲からは「中学生社長」と呼ばれていました。
お金も、知名度も、実績もないままの独立。
「起業すれば、やりたいことができるだろう」
そんな軽い気持ちでスタートしました。
起業する資金もなく、
当時、日本で起業するには500万円以上かかる時代でした。
そこで米国の起業代行サービスを利用し、
デラウェア州で20万円ほどで起業しました。
「運を引き寄せる」ために、
とにかく行動しました。
特に意識していたのは、人に会うことです。
がむしゃらに動き、
月に100人以上と会っていたと思います。
会った人には、
年齢も立場も関係なく、何でも相談していました。
その相談が、後になって幸運のきっかけになることが何度もありました。
今振り返ると、
それが「運の活用」だったのだと思います。
その頃から、人と会うこと自体が楽しくなっていきました。
15歳で一度、起業をあきらめ、
生活費を稼ぐために、
アルバイトを掛け持ちして暮らしていました。
19歳のとき、安定した収入を求めて就職し、
サラリーマン(従業員)になりました。
しかし1年で自分には合わないと感じ、退職しました。
そのタイミングで、2回目の起業を行い、再出発します。
1回目の失敗を防ぐため、共同経営という形を選びました。
しかし現実は厳しく、
共同経営者の給料はすべて私が負担。
その給料は借金で支払っていました。
25歳のとき、人生のどん底を味わいます。
借金取りが毎日来る。
電話は鳴り止まない。
銀行口座は差し押さえ。
新事業にも4つほど挑戦しましたが、
そのために借金を重ね、
結果として、どれもうまくいきませんでした。
生活のため、
さらに多くのアルバイトをして暮らしていました。
<転機>
27歳のとき、異業種交流会に参加しました。
費用はかかりましたが、「自己投資」だと考え、
借金を重ねてでも参加しました。
そこで、同じ期に入会した一人の男性と意気投合します。
彼は焼き鳥屋を経営していました。
当時の私は、
「将来、飲食店をやりたい」と
会うたびに彼に話していました。
人と会うことが純粋に楽しかったのです。
そんなある日、彼から合コンに誘われました。
参加したメンバーの中に、気の合う女性がいました。
1か月後、私たちは付き合い始めました。
彼女の話の中で、
過去のお見合いの話が出ました。
彼女は「3高(高学歴・高収入・高身長)」の男性と
ばかりお見合いをしていたそうです。
当時の私は、
「中卒・借金あり・普通身長」。
それは笑い話になっていました。
そして、出会いから3か月後、
私たちは結婚しました。
⸻
結婚から半年後、
突然、彼のもとに「居抜き物件の話」が舞い込みました。
思わず「一緒に何かやろう」という話になり、
再び起業に挑戦することになります。
<研究>
研究で専門家に
私はWEBによる告知・集客を「研究」、
彼は料理の「研究」を始めました。
立地条件から「予約制の店」が適していると判断し、
業態は「水炊き屋」に決まりました。
2回目の起業を復活させ、
準備から3か月後にお店をオープン。
当時、まだ借金は一部残っていました。
やがて、経営方針の違いから
彼は経営から離脱していきました。
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【経営】
一人になった私は、
3度目の起業として、改めて「経営」に向き合いました。
⚫︎WEBを駆使し、広告費ゼロで集客
⚫︎レシピのマニュアル化
⚫︎労働時間の改善
⚫︎休日日数の確保
⚫︎仕入れは知人の好意で掛け取引
その結果、店は安定して回り始めました。
9年後、
年商は2億円を突破。
社員9名、アルバイト80名規模の組織になりました。
次は、店舗展開を行い、
全体売上10億円を目指しています。
⸻
<彼への感想>
人生は、まさに紆余曲折だと感じました。
店舗展開においても、
先に料理や業態を決めるのではなく、
立地を最優先に決め、そこから提供する料理や業態、店舗を逆算して設計する。
この進め方はとても合理的で、
非常に面白いマーケティング的アプローチだと感じました。
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